スー・ジェイ=ジョンソン

スー・ジェイ=ジョンソン: 性教育において私たちが見過ごしているもの

セックスについて教えることは親としての仕事です。しかし生物学や生殖についての「トーク」よりも、人間が自分の身体で感じることのできる経験についてもっと教えられるはずです。「トークその2」でスー・ジェイ=ジョンソン氏が、子どもたちの感覚に耳を傾ける方法や、感覚を無理に麻痺させることなく彼らの欲求や感情に通じ合える方法を教えてくれます。

Translated by Takamasa Omata
Reviewed by Mari Arimitsu

子どもの頃 おばに髪を とかしてもらっていたのを覚えています お腹で広がる そのくすぐったい感覚を 感じました 彼女は私だけに 集中していて 美人のビーおばさんは 上等な硬いブラシで 私の髪をとかしました 皆さんも そんな思い出ありますよね まさに今も感じられるような

言葉よりも 感覚が先にきます 子どもたちは 感触を通して 自分と他者を区別しているんです 口から 手から 肌から 色んなことを感じます 初恋だって 感覚なんです 他者との繋がりは ここから生まれます 私たちは子どもたちに 健全な人間関係を育むよう願います ですから親として セックスについても教えます 参考にできる本もあります 基本的なことは 学校でも教わります 補足するためにポルノがあります 実際ポルノが教えてくれますよね

(笑)

でも私たちは 妊娠や 安全なセックスについて 生物学や仕組みばかり教え 子どもはセックスとは そういうものだと思って育ちます でも 違いますよね 男の子や女の子たちに 喜びや 欲求 同意にもとづく セックスや許容範囲 身体の中でその瞬間を感じるとは どんなことなのか そうでない時と何が違うのか 教えられるはずです 私たちは こういったことを 触ったり じゃれ合ったり 見つめ合ったり 感覚を通して学んでいきます 子どもたちにセックスだけではなく 体が受ける快い感覚についても 教えられるはずです

このような話は 私が女の子として 必要だったたものです 私は 極度に敏感な子どもでした でも思春期になる頃には 無理矢理 感じないようにしていました 身体の変化をあざ笑う男子 私を排除しようとする女子 皮肉にも 私の男子への興味からです 色々ありました この経験は言葉では言い表せません 消え去るかどうかも わからなかったんです だからできること全てを尽くしました でもダメでした 嫌な気持ちだけを消すことなんて できませんよね だから私はセックスの喜び 快感 遊び心を失いました これが大人になる道なんだ という くだらない憂鬱に 10年間も費やしたんです

この1年間 私は 男性と女性にセックスについて インタビューしてきました 私のような話を何度も聞きました 「過敏すぎる」と言われた女の子たち 男らしくあれと教えられた男の子たち 「感情的になるな」と 苦しんでいるのは 私だけじゃないと知ったんです 昔の感覚を思い出させてくれたのは娘でした 私たちは海辺にいました でも普段とは違っていました 携帯の電源を切り カレンダーに「娘たちと遊ぶ日」 と書いていました タオルを敷いて 打ち寄せる波のすぐそばで 眠ってしまったんです 私が目を覚ますと 娘が腕に砂を振りかけていたんです こんな感じに 私には娘のくすぐったい感覚がわかりました おばのブラッシングを思い出したんです だから私はそばに近寄って もう片方の腕や脚にも 砂を振りかけてあげました そして私は言いました 「ねえ 私に埋めてほしい?」 娘は目を見開いて 「うん!」って言ったんです そこで私たちは穴を掘り 娘を砂と貝殻で覆い 人魚のヒレも描きました 家に帰ると 娘の頭を 泡立ったシャンプーで マッサージしてあげ タオルで乾かしてあげました すると こう思ったんです 「何回も 娘とお風呂に入っては 髪を乾かしているのに 娘が感じている感覚を気にした事が 一度でもあっただろうか?」 私は娘に対して 何かを組み立てる工場のように 食事を与え 寝かしつけていたんです そこで私は気付きました 愛情を込めて 優しく タオルで髪を乾かすときに 私は 娘に触れられることの 喜びを教えている 愛情行為について 教えているんだ ということ 自分の身体を愛し 大事にすることを教えているんだと これが言葉では伝えられない 部分なんだと気付きました

『Girls & Sex』という本で 著者であるペギー・オレンスタインは 若い女性は 自分よりも パートナーが性的に喜ぶことに 努めている と言います これは 娘が大きくなったら 教えるつもりです でも今は 自分の喜びを見つけ それを実践することの 手助けをする方法を探っています 寝かしつけているときに 娘が「背中をこすって」と言ったら 「いいわよ どうやってこすってほしい?」 と答えます 娘が「わからないわ」と言うと 止まって 指示があるまで待ちます すると「じゃあ 上の方の右側で くすぐるみたいにやって」 と言います そのとおりに 指でくすぐります 「他には?」と訊ねると 「左側にかけて 今度はちょっと強く」

私たちは子どもたちに 感覚に慣れてもらうために 言葉に出す方法を教える必要があります これを家で遊びながら できないかと模索中です 娘たちの腕をくすぐりながら こう言うんです 「今感じていること言葉に出してみて!」 「暴力だわ」って言われました 私が強く抱き締めると 「守られてる」って言うんです 私自身も自分がどう感じているか 何を感じているのかを 口にする努力をしています 共通言語がありますから 例えば今なら 緊張していて ワクワクしているから 頭から背中にかけてチクチクしています

おそらく皆さんは 私への返事として 感覚を体験しているでしょう 私が使っている言葉 私が共有しているアイデアに対してです 私たちはこういった反応を評価し 順位付けをしがちです 善し悪しで判断し それを求めたり 排除しようとします なぜなら 私たちは二択の文化の中で暮らし 小さい頃から 世の中を善し悪しで分けるよう 教わってきたからです 「あの本良かったですか?」 「良い一日を過ごしましたか?」 それよりも「この本について 何が印象的だった?」 「今日は何か面白いことがあった?」 「何を習ったの?」と聞いてみては? 子どもたちが 常に心を開き 好奇心を持てるように教えましょう 外国に来た旅行者のように そうすることで 私や私たちの多くが経験した 苦しい困難が降りかかっても 感覚とともに 生きていけるようになるはずです

感覚に対する教育こそ 娘たちに教えたいものです 感覚の教育は 私が 女子として必要なものでした 全ての子どもたちにも教えたいです この感覚に対する意識は 誰しも子ども時代に持ち始めるものです それは 子どもたちから学ぶものであり 子どもたちが大人になったとき 私たちが思い出させてあげることができます

ご清聴ありがとうございました

(拍手)